本日、近くの農協を訪ねたところ、壁に「つもり十か条」と言う紙が貼られていました。
許可をいただいて写真撮影してきました。
面白いですね。
なんだか、最近は100円ショップなどでも売っていそうですが、
自分を振り返り、考えるヒントになりそうです…。
これは
「つもり十か条」または「つもり違い十か条」などと呼ばれているもののようです。
高尾山薬王院や京都嵯峨野の化野念仏寺にも参道に掲示されているそうです。
長い参道を、ありがたい言葉をかみしめつつ我が身を振り返りながら登って行くのでしょうか?
歩きながら考えることは一つの修行にもなりそうです。
また、疲れを覚える前に頭を使って、次の掲示は何かなと興味を持ったり、一人で参拝に来ても楽しく歩けるように、といった工夫でしょうか?
形にはめることで誰もが等しく考えることができると言うこともあるでしょう。
これも一つの知恵だと思います。
自分はどれに当てはまるのか、ちょっとしたときに考えてみるのも良さそうです。
自分ではっきりと分かっていることと、自分で分かっているつもりが実はそうでないものとあるでしょう。
この十か条では、分かっているつもりでもそうじゃないよ、ということを言っていると思われるので、
自分でも「その通り」と分かっていて開き直っているようでは論外なのでしょうか。。。
この「つもり十か条」、頭の体操として自分なりのものを作っている方も居るようです。
「高いつもりで 本当に高いのが 税金」なんて言われると何も言えません。
必要なものを残し、自分にあった新たな条文を加えると、十から減ったり増えたりしそうです。
実際に自分で作ってみると、自省のよい機会になっていることに気付かされます。
また、最後の部分を自分にあてはめて変更することも出来そうです。
私なら、「浅いつもりで 深いのは 親の愛」といったところでしょうか。
「お金をかけたつもりで 安っぽいのが 身なり」なんてのを追加すると、どうしょうもない感じになります。
でもお金をかけなくても立派に見える人は立派に見える、大切なものはお金ではないところにあると言う含みを忘れないでいる効果があります。
「高いつもりで 低いのが 世間の支持」となるとブラックユーモアのようになります。
しかし、まったく逆の「低いつもりで 高いのは 世間の支持」ということが成り立つことも…。
このように「○○条」とまとめることで、大切なことを忘れにくくする、思い出しやすくする、という効果もあるようです。
しかし、実際には「十か条」の存在自体、忘却の彼方に、なんてことになっているのかもしれません…。
黄昏の社長室!というブログでは、
http://utica.blog85.fc2.com/blog-entry-243.html
「わかっているつもりでも失念してしまうのが「つもり十か条」(by utica)」とまとめられていました。
まさにその通りですね。
『つもり十か条』
一、高いつもりで 低いのが 教養
二、低いつもりで 高いのは 気位
三、深いつもりで 浅いのは 知識
四、浅いつもりで 深いのは 欲の皮
五、厚いつもりで 薄いのは 人情
六、薄いつもりで 厚いのは 面の皮
七、強いつもりで 弱いのは 根性
八、弱いつもりで 強いのは 我
九、多いつもりで 少いのは 分別
十、少いつもりで 多いのは 無駄
まったく、分かったつもりにだけなって、日々の生活ではすっかり忘れ去ってしまったような行動をしないように、と願うばかりです。
(H22.3.31)
「つもり十か条」
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