-特別編-
東日本大震災から4年を経過して、
ふと考えたこと。
東日本大震災から4年が経過しました。
いまだに数多くの方が避難生活をされています。
早期の復興と、被災地支援が必要です。
私は当時、倉庫で机や椅子の数を確認しておりました。
大きな揺れが来て、とっさに近くの安全な場所を探し移動しました。
大きなゆれがしばらく続いたため、
「このままでは危険だ!」と思い、
周囲の様子を見ながら外に出ました。
ご近所の方が、ちょうど犬の散歩をされていて、
「地震だー!」
と、大きな声で叫んでいました。
ゆれがおさまってから建物を確認し、
家族に電話を入れました。
選挙用の事務所はプレハブでした。
周囲は駐車場だけで、
建物なども何もなく、
特に被害はありませんでした。
自宅の様子を見に戻ると、
ものが散乱しておりました。
火と電気の安全だけをまず確認し、
すぐ消防服に着替え、
仲間と地元消防団詰め所に集合しました。
テレビとラジオ、インターネットで情報を集め、
ひばり放送を確認しました。
子どもの引き取りがはじまったので、
いったん小学校まで行き、
自分の子どもを引き取り、
先生方から学校の様子を聞きました。
子どもを嫁さんに託し、
また消防団詰め所に戻り、
火災やがけ崩れ等の発生がないか巡回しました。
「チリンチリン」という大きな音の警鐘を鳴らすかどうか、
皆で少し考えましたが、
回っていることを伝えて、
何かあったら声をかけてもらえるようにと、
警鐘を鳴らしながら巡回を行いました。
地域では、
1、屋根瓦が落下
2、塀が崩れる
3、石灯籠が倒れる
の3点の被害が目につきました。
屋根瓦はその後も引き続き落下の危険があるため、
住まれている方にお話し、
下にカラーコーンを置いて注意喚起をしました。
塀は、崩れた部分が道路側に広がっていることがあり、
崩れた部分を敷地内に戻す等の手伝いをしました。
余震等で破損が進むことも考えられ、
引き続きの注意をお願いしました。
石灯籠は中途半端に崩れていることがあり、
周囲にロープを張るなどのお願いをしました。
かなりの重量があり、
中途半端に作業をすると大事故につながりかねませんでしたので、
近寄ることが出来ませんでした。
その後は、議員仲間や地域の方々と連絡を取り合ったりしました。
相模原でも大災害時の議員の活動について議論があり、
議会でマニュアルも作られました。
議員の活動はそれぞれですが、
こうした緊急時こそ、
大切な役割を担うべきと私は考えています。
みなさんのお考えもお聞かせください。
どうぞよろしくお願いいたします。
阿部よしひろ facebookページより
http://facebook.com/AbeYoshihiro