竹中さんの辞職について
結論から述べます。
私は、
「自分の役割はすべて終わった」
「もうこれ以上、政治家として取り組むべきことは何もない」
と考えている政治家が、
「任期がまだある」との理由だけで議員であり続ける必要はない、
と思います。
ですから、
今回の竹中さんの辞職では、
竹中さんが、任期を残して議員を辞めるということが問題なのではなくて、
本当に竹中さんの政治家としての役割は終わったのか、
という点が議論されるべきであると思います。
また、
ここであらためて確認しなければならないことは、
政治家としての竹中さんへの国民の認識はどうであるのか、
ということです。
竹中さんがどのようなことを発言し約束し、
国民の皆さんが竹中さんへどんな期待をしていたのか。
「小泉内閣が終わるまで頑張ってくれればいい」という方は、
やはり少なかったのではないでしょうか。
であるならば、
竹中さんはその期待に応えるべきでありますし、
そうでないならば、
相応の説明をして納得を得る必要があると思います。
竹中さんのホームページの大臣辞任の挨拶では、
以下の部分が、議員辞職の説明です。
「政治の世界における私の役割は、
あくまで小泉総理を支えることでありました。
また、私が参院選挙に立候補したのは、一昨年の時点で、
今後も小泉改革を継続するのかどうかを、
国民の皆様に問う意味が大きかった
と思っています。」
竹中さんの政治の世界での役割は、
実質的に小泉総理を支えることであったのだと思います。
しかし、議員としての役割や責任の重みを考えると、
任期を全うして当然とも思います。
ある分野のプロフェッショナルが、
特定の期間だけ、特定の役割だけを担って、政治の世界で活躍し、
その任務を終えてからもとの仕事に戻る、ということは、
これからもっと必要な部分ではあると考えます。
しかし、今回の竹中さんの辞職とはまた別問題です。
竹中さんが民間からの特命大臣であれば成り立つ話ですが、
竹中さんは、選挙に立候補し、当選してきたのです。
構造改革の実務担当としてそれだけやればよい、
との国民の認識ではなかったはずです。
そうなると、
今回の竹中さんの議員の辞職については、
「竹中さんはそもそも議員になる必要があったのか?」
との疑問が沸いてきます。
この疑問に対し、
納得できる回答が示されていないということが、
やはり最大の問題である、
と私は思います。
--- 補足 ---
議員の辞職については、
最終的には本人の決断を尊重するべきと考えます。
また、
議員が辞職する場合、どんなケースがあるか考えてみました。
1、不祥事を起こし、議員として妥当ではないと自ら判断し、議員辞職する。
2、市議から県議等、別の選挙へ出馬転身するために現在の役職である議員を辞職する。
市議→県議、県議→国会議員、参議院議員→衆議院議員、地方議員・国会議員→首長、等々いろいろなパターンがある。
1の場合も、2の場合も、最終的には個人の決断ではありますが、
国民の声、世論の大勢によって判断される部分も大きく、
議員自らの決断にも相応の説得力が求められると考えます。
「辞めるべきなのに辞めない」
「辞めるべきではないのに辞めてしまう」
これらの声に対して、十分に納得できるだけの説明を行い理解を得る責任があると思います。
こんにちは 同様に 竹中さんは立派に仕事をやっていたと評価しています。
但し 大臣と言えども 官僚と同僚政治家の妨害の話は有名なことです。
そして 今後政治家として 自民党内で飼い殺しになるよりも 彼の才能を生かすならばやめた事を 更に評価できるのが 普通だとかんがえますね。
更に 意味する事は 大臣職は 今までと違う 専門職として 国民に意義深い政治任用の道を 新たに指し示しての暗示のようにも取れるところが私には更に意義深いと感じています。
小泉さん同様に 護民官政治家的だったのです。私はその様に評価しています。