『【ネタばれ】『アバター』を見て考えたこと 「権力」「権威」「スジ」とマニフェスト』(カテゴリ:未分類)
- CNET【eデモクラシーの実現】より転載 -
【ネタばれ】『アバター』を見て考えたこと
「権力」「権威」「スジ」とマニフェスト
※ストーリに踏み込んだ発言をします。【ネタばれ】ご注意下さい。
映画『アバター』。
約3時間があっという間に過ぎました。元日の夜を楽しむことが出来た映画です。いろいろ感想を持ちましたが、この映画を否定するものではありません。多くの方がレビュー等で言われていることは、先入観も手伝ってか確かに分かる部分がありました。
せっかく楽しい映画を見たのに、考えたことは政治的な話になってしまいました…。
【感想】
◆映像等について
・惑星パンドラの映像は美しく、物語抜きでも楽しめました。しかし、CMや予告編の影響もあるのでしょうか、他の映画やゲームですでに見慣れてしまっているという感覚がありました。
・3Dのメガネは、近眼で普段からメガネを掛けている私の場合、3Dメガネをかぶせる形になりました。特に問題とまでは行かないのですが、私のメガネが小さめサイズにも関わらず、レンズが3Dメガネのどこかにあたっている感じがありました。レンズが出っ張ったタイプや大きなレンズのタイプだと3Dメガネは掛けにくいかもしれません。私は109シネマズで見ましたので、3Dメガネはがっちりした重量感のあるタイプで、レンズもゴーグルのように小さめでした。
・3Dのメガネ使用により、確かに画面は暗く感じました。また、操作しているコンピューターの画面等、立体的に見えることで近未来感たっぷりの映像となる部分もありましたが、後から考えると、字幕が一番立体的に見えていたような気もします…。
・一緒に見た妻は、「せっかく綺麗な映像なので明るい画面で見たい。3Dより明るさを取る。」と言っていました。しかし、これは3Dによる300円の上乗せ料金が高い、と言う主婦の感覚によるものだと私は考えています(だいぶ安くなってきたと思うのですが…)。
◆ストーリーについて
・「主人公の兄弟が亡くなりその代役を果たす」、「下半身不随の身体に交換条件を出される」他、細かい物語になぜか違和感を感じる部分がありました。ナヴィの皆さんが英語を話すのも、人類が作った学校で習っていたから等、一つひとつのエピソードや惑星パンドラの設定になぜか言い訳っぽい説明といった印象を受けてしまいました。ラストシーンも予定調和な印象で、驚きや納得のある展開がほしいと感じました(ずいぶん欲張りですが…)。これは個人的な感覚です。
・エイリアンが地球に攻めてくるのではなく、人類がエイリアンとして他の惑星を侵略する、という視点は新鮮に感じました。この視点により、地球に攻めてくるエイリアンもその総意として侵略行為を行っているのではないのかもしれないし、個々の心の葛藤があるのかもしれない、といった発想の広がりを得ることが出来ました。
・『ダンス・ウィズ・ウルブズ』や日本アニメ等との共通テーマについては、もともと聞いていた通りに重なって感じられました。物語の普遍性やメッセージ性といった視点からも考えてみたいと思いました。
・物語全体を通して、リアリティは感じられないと思いました。「この状況なら、人類はこうするだろう」という感覚の湧いてくるシーンや戦闘の場面等、実際はもっと違うのでは、という思いが随所でありました。もっともリアリティを描くものではないのですが、おとぎ話にも真実が含まれている、との思いで見てしまうと何か物足りなさも感じました。
・感動して涙を流すような話ではないと感じました。むしろ、最近では「カールじいさん」や「私の中のあなた」のように坦々と人生の流れを表現している映画の方が、わが身と重ね涙するような感覚があったと思います。
・ナヴィの皆さんは、言葉により人類と意思の疎通をはかることができます。これは私たちのルールが通用する私たちの世界(の単なる広がり)の話だと感じました。どちらが進んでいるとか言うことではなく、私たちの想像もできないような文化・文明を築き相互理解など到底不可能な生命体と遭遇した時に、人類がどのような行動をとるのか、というテーマの話も見てみたいと考えました。
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【考えたこと】
「権力」「権威」「スジ」とマニフェスト
惑星パンドラで採掘活動を進める人類に対し、原住種族であるナヴィは戦いを挑みます。一度は人類の行為により拒絶されてしまった主人公ですが、過去の英雄にしかなし得なかった巨大な赤い竜(?)であるレオノプテリクスを乗りこなすことに成功し、伝説のトルーク・マクトとして、世界に散らばるナヴィの部族をまとめ戦いに挑むべく、リーダーシップを発揮します。
私はこの場面を見たときに、「権力と権威とスジがそろってこそ物事はなしうる」という言葉を思い出しました。これは民主主義の勉強をしている時に聞いた言葉です。
選挙に当選すれば、その当選者は職務に準じた「権力」が与えられます。しかし、この新しいリーダーの「権力」だけで、人々が同意したり行動したりするわけではありません。リーダーには人々が納得し、指導者として認めるられだけの「権威」が同時に求められます。それは容姿や立ち居振る舞いから、その思想・発言、家柄や互いの信頼関係まで、多様なものです。そして、この「権力」と「権威」を兼ね備えたリーダーには、論理的な矛盾のない、十分な説得力を持った理論や計画(政策)が前提として求められます。これが「スジ」です。
『アバター』の主人公は、貴重な惑星パンドラの破壊を食い止めるため、ナヴィ全体で結束して立ち向かう必要性を認識し訴えます。このことを実現するためには、それが正しいだけでなく、ナヴィ全体を動かすだけの「権力」と「権威」が必要でした。レオノプテリクスを乗りこなすトルーク・マクトの伝説は、この「権力」と「権威」を同時に主人公に与えるものでした。「権力」「権威」「スジ」を備えた主人公の下にナヴィは結束し、人類を撃退し物語りは終わります。
さて、わが国のリーダーについてです。昨年夏の総選挙に勝利しましたが、偽装献金事件等もありました。現在は「権威」が揺らいでいる状態です。「スジ」はどうでしょうか?選挙に掲げたマニフェストの取り組みを重視する姿勢は立派だと思います。しかし、そのマニフェストは、選挙に勝ったこと以外に人々から認められ大切にされるだけの「権威」と「スジ」はあるでしょ