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徳は孤ならず

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自分が正しいと思うことを行ったり、主張したりすることは簡単なことではない。
それがたとえ正しいと誰もが認めることであっても、それを良く思わない人が必ずいる。
ものごとを見る視点は様々で、中には身勝手としか考えられないようなものだってある。それが現実だ。
たとえ自分の利益にばかり関心があるような場合でも、それが生活にかかる事柄であれば、やはり自分の損得が気になるのは当然だろうし、理解できないこともない。
これを良いとか悪いとか言うのではなく、そうした様々な視点があることが重要だ。
だからこそ、一つの結論を出すにあたっては、決定者として少なくとも自分の立ち位置だけは明確に示したい。
その立ち位置から、どんな風に物事を見て、考え、発言し、行動しているのかがはっきりとするからだ。
これならば責任も取れる。
責任を不明瞭にすることは、結局は決定の重みを失わせることになる。
… … …
こういう話もある。
人の間違いを指摘したり、既得権益に触れる話をすることだ。
このようなことは、できればしないで済ませたい。
しかし、そのことは相手のためであり、社会全体のためなのであるから、一時は気分を害する人がでるかもしれないが、勇気を持って取り組むべきだ。
そのことが理解されるかどうかは分からないが、本当に相手のためになる、社会にも必要なことであるのならば、やはりやらなければならない。
また、何も非がない相手に、その人の不利益となることを主張しなければならないときもある。
行政改革などでは、こうした場面に直面する。
変わる社会環境の中で、必要なサービスを厳しく見極め、その費用を少しでも落として行く時には、その決定者・実行者はきっと孤独なのではないだろうか。
そもそも自分が間違っているという可能性だってある。
こうしたもろもろのリスクを背負いながらの行動は、時に苦しく、勇気があってもやはり不安で、どこか孤独なものだろう。
しかし、実はまったく孤独なことなどないと私は思う。
見ている人は見ている。分かる人は分かっている。
立派な行い(かどうかという問題はあるが…)をしている時は、決して一人ではない。
一方で、心に何か引っかかるような、間違いを犯しているような時には、たとえその時は仕方がないように思えても、後で一人ぼっちになるだろう。
徳に反することはしてはならないし、そのことは自分で必ず分かるものだ。
正直に正しいと思う道をまっすぐに歩く。
謙虚に我が身を省みる必要はあるが、常に正しいと思う道を堂々と歩いていれば、決して一人ではない。
『徳は孤ならず』
これまでの人生で、この言葉は自分に言い聞かせる言葉だと思っていた。
しかし、最近では、誰かに伝えるための言葉だと思うようになってきた。
(H22.3.20)

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