相模原市津久井出身の偉人、尾崎咢堂(行雄)の風刺画紹介(その2)です。
共和演説事件
1枚目は、1898年(明治31年)の共和演説事件の風刺です。池辺鈞さんの作。
共和演説事件は、尾崎行雄が閣内最年少(41歳)で文部大臣に就任し、教育者に対する言論抑制措置の多くを撤廃しようとしていた最中におきました。
事件は、国会の演説ではなく、帝国教育会の茶話会での演説についてです。
そのため、正確な記録等がない状態での話です。
尾崎の、ありえない前提の話としてした日本が共和制となった場合についての発言が、後に問題とされました。これが隈板内閣崩壊にもつながりました。演説の中では、米国の共和制が金の力に左右されない点から、金に左右される日本の拝金主義を批判する主旨もあり、こうした点も問題とされました。
実際の演説は大きな拍手に迎えられ、文部大臣としての期待も大きかったものと考えられますが、そもそも尾崎を良く思わない人たちからのかっこうの攻撃材料にされてしまったようにも感じます。
舌禍事件らしく、尾崎行雄がやっとこで舌を挟まれています。
咢堂の獅子吼
2枚目は、1913年(大正2年)2月の風刺です。近藤浩一路さんの作。
大正政変とも呼ばれ、憲政擁護運動(第1次)によって第3次桂内閣が倒されました。議会では、内閣不信任案が提出され、その時の弾劾演説の時の風刺漫画です。
所感
どちらの諷刺漫画も、尾崎行雄は目を見開いて、激しく演舌をしています。1枚目では、国会でもないのにコップがひっくり返って水がこぼれています。
やはり尾崎行雄は演説で人々に訴えるイメージが、今も昔もあるのでしょう。そう考えると、毎年開催される、『尾崎行雄(咢堂)杯演説大会 』は、尾崎行雄の名を冠した素晴らしい取組だとあらためて感じているところです。
おまけ
『近代日本漫画集』(現代漫画大観10)では、護憲三派が躍進をとげた1924年(大正十三年)の第15回衆議院議員総選挙を風刺したもの。小川治平さんの作。
右頁では、「〇五郎」さんが雷様のお怒りに触れてか次々落選する様子。「五郎」と雷様の「ゴロゴロ」をかけています。
しかし、「〇五郎」さんという名前の候補は当選も複数いて、多い名前だったのかと思います。象徴的な大物の落選があったということでしょうか。
左頁では、上部で柔道二段の腕前(?)の中島鵬六を、大学教授の内ヶ崎作三郎が筆の力で打ち負かした様子。
その下には、投票日前には腰が低く、当選御礼では顔をあげはじめ、代議士徽章を胸に翳してからは、ややそっくり返って葉巻をふかし、のんきに帽子をあげている姿が描かれています。
大正十三年から99年が経った現在、同じ様な風景は目にしていないでしょうか?
まずはわが身から振り返りたいと思います。